絵を仕上げるとはどういうことか。仕上げるタイミングはいつがいいだろう。完成度とは何か。もしその絵が完成されたと思ったら絵筆を折るべきだ。まだ満足は行かないけれどこの作品の全てを台無しにするわけにはいかないからある程度のところで手を止めてこれはこれで完成したことにしよう。不満足な点は次の作品で描ければいい。もし絵を描いてる途中にもっと面白いことを発見してもそれが成功する保証はないから次の機会にとっておこう、とか。全くその主題に沿わないことになるアイデアを思いつくことだってある。それでも挑戦はしない。初心貫徹。初めに思い描いたイメージや思いからズレないようにまずこれはこれで完成度を上げて作品として成立するようにしなければ、とか。そういうのは非常に器が小さい。
僕は昔から描きすぎる。これでもかこれでもかと描きすぎて作品を駄目にすることが多い。それはだって、次から次へと浮かんでくるから。思いつくから。絵を描きながら毎秒飽きるから。次から次へと自分自身の表現に飽きる。そして思いつく。で飽きる。その繰り返し。だからそれを我慢して初心を形にすることなんてできない。言ってしまえば自分が納得すればもうそれでいい。究極、解ったら描かなくても良い。何故描くのか。それは解らないから。知りたいから。知ってることを解ったことを発表するんじゃない。?の連続の状態が表現である。描いてる途中で解ってしまったらもう次の段階へ進むべきだ。さあ、塗りつぶせ。それはもう終わった話だ。
現代アートにはまだ下書きの段階で途中で筆を止めてこれで完成ですって作品が非常によくある。ああいう態度は気持ち悪い。制作途中の状態のままをわざと見せるのは挑戦ではなく、ただの演出である。あれは本当は制作途中なんかではない。あれは本人がその状態で止めておくのがセンスが良いと勘違いしているのだからつまり本人にとっては完成状態なのです。ああいう嘘つきにはなりたくない。なりたくないが、あ〜これ途中で止めたら作品としては残るだろうな〜って誘惑が大いにある。でもでもでも、そればかりを続けていたら、いずれ何も創造できなくなるだろう。それはもう全てが途中。何かを発見しようと挑戦することよりも、発見しようとしている状態に酔い潰れているだけで、芸術家を演じている役者にすぎない。挑戦することは今の自分を捨てることだ。今の自分を破壊することだ。描いた形を毎秒毎秒塗りつぶすことだ。芸術の本質は完成度でも作品でもない。永遠に塗り重ねることが出来る絵の具があればキャンバスは一枚あればいい。
