共通の価値判断が成り立たない、自分一人、自分自身にも価値判断がわからないものに賭け、貫いていかなければいけない。まして他人の目、世間の評価などは、何の意味があるだろう。
共通の価値判断が成り立たない、自分一人だけにしかはたらかないマジナイ。芸術(絵画)はそういうものであっていい。ところがもしそれがいったん動きだせば、社会を根底からひっくりかえすのだ。といってもこの力は、強烈にかかわりながら、人々に気づかれない。感覚などという狭い意識の表層を媒介にするのではないからだ。まるで無感覚と思われる領域、巨大な幅ではたらく。
芸術が理解を拒否していればいるほど、力なのだ。岡本太郎 "呪術誕生"「岡本太郎著作集 3 私の現代芸術」講談社 p.260
岡本太郎は「肩を寄せ合う僕ら」を否定する。価値は主体的に存在する。自己にだけ働きかける呪術。そしてそのエネルギーは無意識を通じて全体に働きかけるのだ。太郎は見せかけの共感や共通という思想をとことん否定する。無意識を媒介に全体へ訴えかける表現、呪術。それはまさに呪いのような行為である。しかもその呪いは自分へ向けてかけられる。自己存在の限界に挑む凄まじい表現である。
つまり、自分へかかる呪いでないと意味がないということ。そして自分にしか通用しない呪文を唱えること。そして自分の言語、自分の形を持つことである。それは私が見たもの私が感じるもの私とつながりのあるものが、形となって現れないといけない。
いかにも呪術的な、いかにも原始的な、いかにもプリミティヴな、いかにもシャーマニズムなイメージを使った表現をするような馬鹿なことをやってはいけない。それは単なる様式化、形骸化であり岡本太郎が最も否定するやり方である。
そういうことを考えると私にとって呪術的作品となるとそのほとんどが自分へしかかからない呪いになっていることに気付く。以下の作品などは呪力が強いと思う。こんなに恐ろしい笑顔は他にない。このスマイルは誰に何に向かって投げかけられたのか。楽しいから嬉しいから?恐いから気が狂いそうだから?笑顔の理由もすぐにはわかりません。一言で言うと「絶望の中で笑う者」。それは強烈に静かで、優しく恐ろしい力を持って私へ微笑んでくれます。

Date: 09.05.09
