絵描きであること

自分は絵描きであると思ったことはない。

絵を描くこと自体はそれほど好きじゃない。
むしろ苦痛を感じて絵を描いていることの方が多い。
だから、
絵を描くことが純粋に好きな絵描きであるとはとても言えない。

しかし自分の表現したいことができるメディアが絵以外にはないと確信している。

絵は何もないところから自分の手を使い作り上げていく芸術である。
表現することに没頭し作ることそのものにエクスタシーを感じる表現だ。

しかし立体ではないので実体としてそこに存在するわけではなく、
二次元に描かれたものを脳が記憶と経験を頼りに認識処理するので、
立体では表現できない矛盾空間を表現することができる。

制作は身体的表現であるのに視覚的には虚構空間にいるような矛盾に興奮する。

下絵も想像力もセンスも斬新な視点も現代社会へのメッセージも全く必要ない。

だから私の芸術は9.11以前も以降も全く変わらないし、
ブッシュだろうがオバマだろうが全く関係ない。

逆にそういった社会的現象を、
可能な限り排除しても浮かび上がる本質的なものの中に何かを見出す。

社会に対するリアクションを見せる表現は、
何らかの明確な問題に対する己の姿勢を見せることだから、
客観的な姿勢を保ちやすいし矛盾のないスタンスを貫きやすい。

それに対して私の表現は、
自分を対象とした極めて個人的な問題をテーマとしているので、
主観的で曖昧である悶々とした個人的苦悩を、
紙やキャンバスにさらけ出し、のた打ち回る。

そこには思考や知性なんてものが介入する暇や余裕もなく、
ただただ無我夢中で藻掻き苦しんで恥ずかしい身体でいることが多い。

そういう状態でいることが表現する上で必要な基本的姿勢だと思っているので、
安全地帯で無関心を装いながらも的確に社会を風刺したり何かをパロディーし嘲笑するような客観的で冷めた表現者にだけはなりたくない。

絵を描くことは、
何かに強烈に囚われることだと最近は思う。
それはただの執着心と言えるかもしれない。

答えの見つからない暗闇に囚われて永遠に描き続ける。
そんなただのドM。いやそれが本質だ!


Date: 08.11.29

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