ムンク展に行った。
僕の絵を見た人の中で少数だがムンクだのクリムトだのに似ている言われることがある。
僕はクリムトが嫌いだし、ムンクはまだましだけどそれほど興味はなかった。
クリムトは装飾的すぎるのが嫌いだった。
人間の秘めたる部分である、
「悲しい」とか「寂しい」とか「恋しい」とかの感情を、
お気に入りの額に入れて飾り立てる嫌らしさが気持ち悪かった。
自己愛はあってもいいと思うが、
その愛し方が気に入らない。
「悲しい」だからこうなりたい。
「寂しい」だからこうしてほしい。
「恋しい」だから会いたい。
がなくて、
今の感情に酔いしれてるだけのように思う。
だからそこには葛藤や挑戦がなくて、
いかに自分の輪郭線を上手になぞるかに終始している。
そこから先がない。
そこから先の未知の領域へ行きたいとは思っていない。
ムンクは多少違っているのではないかと期待したが、
やはり同じだった。
飾り立てることが主になって、
そこから先へ行こうとしない。
はみ出そうとしない。
彼の絵は構図がまず先にあり、
そこにアートっぽいものをはめこむ。
まるでインチキデザイナーのように。
それでもやはりどこかで期待している自分がいる。
実はもっとすごいんじゃないかとか、
何か強烈な啓示を与えてくれるんじゃないかと、
いつもいつも期待している。
でも、
私に強烈な何かを与えてくれる芸術家はいない。
どこにもいない。
愛するが故の憎しみ。
何故もっとはみ出そうとしない!
何故もっと葛藤しないのか!
ムンクは可能性を秘めている。
あの神秘が生々しさを保っていたなら。
あの霊性が純粋なものならば、
私はもっと震えていたに違いない。
いつしか彼は若い頃に得た魂を捨てることができずに、
過去の遺産にしがみつき繰り返す日々。
あの時の、あの瞬間の、あの喜びを、あの悲しみを、あの嘆きを、
何度も何度も再現し、象徴化していく。
もうあの時の生々しい臭いは無い。
もうあの時の必然性は微塵も無い。
動機も何だったか忘れてしまって、
あの時の表情だけが形として残っているだけ。
無意味な極みの、
無味無臭の完成品をどうぞ。
あの線も、この線も、
この色も、この形も、
何一つ無駄がない。
だけど、無駄がないだけに、
そこから先がない。
動きようがない。
崩れようがない。
破綻がない。
可能性がない。
希望がない。
絶望がない。
揺らぎがない。
推敲中…。
