最近、
地下鉄で見かける「ちひろ」の描く少女の指先が、
私に何かを導いてくれた。
何だか気になっていたので、本屋で本を買って、
それを枕元に置いて寝るのがとても幸せなのです。
ちひろの素直な文章と、絵にかなり極端なほど(いつものことだが)感動しています。
昔はただ優しいだけの絵のように感じ、物足りなく思っていました。
(ちひろ自身もその泥臭さのなさを気にしていたりしたそうです)
私の絵はというと、
どうしてもっと優しさをそのままの形で描けないのだろうかと悩んだりもしました。
物事には闇が付きもので、闇に半身入ってるのが何だか心地よくも感じています。
それにそこに私の真実味があるからです。
いつしか私は信じているものはいつかは崩れてしまうという法則を作り上げていたのかもしれません。
絵を描くとき、私は絵と一体となっています。
絵筆が、絵の具が、紙が、私になっています。
描かれるものにはやはり闇が付きまといます。
それは私自身がそれを欲しているのかそれを含んでいるのかどちらかです。
勿論、その闇の中には優しさや、愛情も含まれているのですが、
闇をもってしかそこに入れない悲しさにも気付いています。
絵本の絵というのは、必ず物語を含んでいて、
物語に支えられているものだと思います。
しかし、私の絵というのはどちらかというと物語を嫌います。
それ自体で成り立つもの、言語を持たないもの。
物語に裏切られた後遺症なのかもしれませんが・・・。
このあいだの「景」でも、中村公美のダンスを見て色々思いました。
そこには、時間や、言葉や、物語や、感情が、まるで日常のコラージュのように散らばっていました。
何食わぬ顔の中村公美さんをとても面白く感じ、
私は私の散らばっていた何かを見つけなさいと言われたような気になりました。
私は今まで二度、世界が崩れるような経験をしました。
これ以上の世界はないと信じているものが、容易く消え去るのです。
リハビリは思っていたよりも大変で、常にその問題が今の私にのしかかっていて、
誰かを傷つけたりしてしまうのです。
散らばっていた断片をつなぎ合わせ、再構築して新たな物語を作っていく。
といったことはできそうにありません。それは嘘になるのだから。
だけど、散らばっていたものを思い出すことは必要かもしれません。
