狂気
2008
グレン・グールドの影響でバッハやベートーベンなどのクラッシック音楽を聴くようになる。
独学でピアノを弾き「鍵盤に触れると音が鳴る」そのシンプルな仕組みから表現することの純粋な快感を思い出す。
その経験から描くことの純粋な快感を得るため触感的で生々しい表現を模索する。
この頃、俵屋宗達や山水画を研究する。これが「Thunder GOD」を描くヒントとなる。 この年NYでMOMAやメトロポロタン美術館を訪れる。
この頃、俵屋宗達や山水画を研究する。これが「Thunder GOD」を描くヒントとなる。 この年NYでMOMAやメトロポロタン美術館を訪れる。
存在
2006-2007
ジャコメッティの絵画・ミケランジェロの晩年の彫刻・村上華岳の水墨画に影響を受ける。
ぼんやりと朧気でありながら生々しくも印象的なものを描く。
凝視
2006-2007
かつて彼独自の神話世界の中に押し込んだ根深く存在する生々しい記憶を掘り起こす。
故人の感情や記憶を想像しようと試み彼女の最後の瞬間を追体験する。
"最後の視界" では、彼女が首を吊る瞬間を描いた。
一体彼女は何を考えていたのか?
彼女が最後に捉えた視界はどのようなものだったかに思いを巡らせた。
“The head is dead” は空き箱のような魂の抜けた死んだ頭部を描いた。
“The other side” は焼却炉の中で焼けていく死体を描いた。
この頃から油彩画から水彩画や水墨画に切替える。
物語
2004-2005
彼は衝撃的な夢を見る。
「この頃、僕はこんなひどい夢を何度も見ました。僕と彼女の家族が何らかの方法で死んだ久美子を蘇らせる。彼女は自分が一度死んでいたことを忘れている。僕らはそれを彼女に悟られないように彼女と普通に生活をするんです。しかし次第に肉体は腐ってゆき彼女は自分が死体であることに気づき暴れ狂ってしまう。僕はとても恐ろしいことをしたことを悟り恐怖の光景の中で懺悔するというものです。」
と夢の内容を語る。
恐怖を閉じこめるために、"dune" "implant death mask" そして "Ending dusky" を描く。 これらの絵画の中であの世を描き恐怖と供に死者を供養した。 彼は死者を個の魂と捉えるのではなく普遍的な類魂として捉えようとした。
この頃、大阪から東京へ移住。 「ワタル&山谷仁美結婚披露舞踏公演」の美術担当の際、大きな作品の制作を担っていたため絵を床に寝かせ跪き、絵に向かって頭を垂れるような姿勢をとって描いた。彼はこの姿勢で描くことで魂を解放し吐き出すような感覚を実感する。それ以来イーゼルを使っていない。
恐怖を閉じこめるために、"dune" "implant death mask" そして "Ending dusky" を描く。 これらの絵画の中であの世を描き恐怖と供に死者を供養した。 彼は死者を個の魂と捉えるのではなく普遍的な類魂として捉えようとした。
この頃、大阪から東京へ移住。 「ワタル&山谷仁美結婚披露舞踏公演」の美術担当の際、大きな作品の制作を担っていたため絵を床に寝かせ跪き、絵に向かって頭を垂れるような姿勢をとって描いた。彼はこの姿勢で描くことで魂を解放し吐き出すような感覚を実感する。それ以来イーゼルを使っていない。
顔
2002-2003
久美子の死後、彼はしばらく絵が描けなかった。
彼女の死んだ顔が彼の脳裏から消えることはなかった。
彼は再び筆を取り久美子の孤独を見る者へ突き付けるような気持ちで絵を描き始めた。
しかしその絵に描かれる顔はフランケンシュタイン博士が作った人造人間のように虚しく哀れなものだった。
彼はただ自分が何の意味もなさない悲しい死体を創り上げようとしているように思った。
個人的な問題から次第に普遍的な死と狂気を考えるようになる。
彼は“鼻腔の記憶”、“存在”そして“顔”を描いた。背景を描かずに前に突き出たような輪郭のない顔を描いた。
これらを描くにあたり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」や能面を参考にした。
この頃パリのルーブル美術館、オルセー美術館、そしてポンピドゥー美術館を巡る。
またエクスアンプロヴァンスではセザンヌのアトリエ、スペインではピカソ美術館へ訪れる。
写真家の鎌田幹子と東京の渋谷で「存在と記憶」展を開催。
写真家の鎌田幹子と東京の渋谷で「存在と記憶」展を開催。
封印
1996-2000
彼は多くの神秘的な体験をする。
2000年8月、久美子が自殺。彼女は線香を焚いて首を吊った。白い蛾に生まれ変わる人の絵を描き残し逝った。享年25歳。
彼は彼女の死後硬直の顔と半開きの歪んだ口を一晩中観察し脳裏に焼き付けた。
またその晩をかけて彼女の最後の肖像画を油絵で描き葬儀の祭壇に飾った。
その絵は孤独と苦しみに満ちた暗い絵だった。
葬儀に参列していた面識のない中年の女性が彼の絵を見ながら涙を流した。彼女はその絵に心打たれ彼の手を握った。
その時彼は初めて絵を描く意味を知った。
描き手の思いが絵によって直接的に見る人へ伝わることを知った。
棺桶の中に入れられた肖像画は久美子と供に焼却された。
火葬場からの帰路、白い蛾が彼のもとに来て指先に止まりずっと離れなかった。
その後、悲しみと狂気を鎮めるため三枚の絵を描いたが、彼はそれらの絵を見るのが恐ろしくなり折りたたんで封印した。
女神
1996-2000
ピカソ、フランシス・ベーコン、棟方志功、岡本太郎などの芸術家から影響を受け、油彩・アクリル・木版画などを使用して多様な表現法を模索した。
アンドレ・マルローのサクレ(Sacre:神聖)という考えに影響を受けて、死や神話性のあるものをテーマとした作品を創り上げた。
「Justice」はそれら作品の1つである。
さらに、マルローの引裂線(la brisure)という言葉からインスピレーションを受け、
絵の輪郭線は次元を仕切る境界線として解釈した。その境界線(輪郭線)を歪ませて描くことで存在していることの曖昧さを表現した。
「Torii Gate 鳥居」はその一例である。
ある時、彼は久美子と同じ夢を見る。彼らは神社に祭られている女神像を夢の中で見た。彼らは夢の中の女神像を探す旅に出かけた。勿論、女神像を探す手掛かりなど何もなかったが、彼らは自分たちの直感に従って探した。 近くに海が見える神社に辿り着いた時その神社の奥に夢で現れた女神像を見つけた。 その不思議な出来事から「Megami 女神」を描いた。
ある時、彼は久美子と同じ夢を見る。彼らは神社に祭られている女神像を夢の中で見た。彼らは夢の中の女神像を探す旅に出かけた。勿論、女神像を探す手掛かりなど何もなかったが、彼らは自分たちの直感に従って探した。 近くに海が見える神社に辿り着いた時その神社の奥に夢で現れた女神像を見つけた。 その不思議な出来事から「Megami 女神」を描いた。
宣言
1974-1995
1974年兵庫県尼崎市に生まれ大阪で育つ。
14歳になる頃、父親から買ってもらったメトロポリタン美術全集に衝撃を受け画家になることを宣言する。
芸大予備校でデッサンの基礎を1年ほど学んだ後、奈良芸術短期大学へ入学。そこで久美子と出会う。
大学では美術教育を受けることを拒否しデザインを1年半学び中退。その後、独学で油絵を習得。
Text by Tomoe
